水都大阪の歴史
水都大阪の風情とにぎわい
堀川と川船は、大阪の街に独特の風情ある景観をもたらした。商業荷物や建築資材を運搬する船や、行楽船、旅客船、渡船など、様々な船が絶え間なく行き来した。川沿いの両岸には、船着場や荷揚げ場のほか、魚・青物・材木などの市場が立ち、にぎわいを見せた。
錦絵や文学などには、人々が四季折々に船を浮かべて花見や夕涼みする様子や、川べりに座敷を張り出した旅館や店舗などに季節感や雪月花を織り込んだ景観が描かれ、人々の憩いの場として、また生業の場として、川と暮らしが密接につながっていた様子をうかがい知ることができる。
浪速天満祭(貞秀画、1859年)
大阪府立中之島図書館蔵
1200年前から続く天神祭。天神橋(左)から神輿の船渡御があり、奉安船や御迎人形船など大小さまざまな船が川に漕ぎだし、橋の上は見物客でにぎわっている。天神橋の向こうの天満橋、右手の難波橋(なにわばし)とともに、難波三大橋が描かれている。
大阪名所
天神祭の光景
(川崎巨泉(ほか)画、1904年
大阪府立中之島図書館蔵
「中之島より天神橋を望む」とある。
篝火を焚く奉安船やそれを見物する奉拝船などが川面を巡行し、夜空にあがる花火が夏祭りの情緒を映し出している。右上には参拝する人々でにぎわう大阪天満宮が描かれている。
浪花百景
道頓堀角芝居
(国員画、安政年間1854~1860)
大阪府立中之島図書館蔵
道頓堀は芝居小屋が密集する浪花随一の繁華街だった。道頓堀の南にあった角芝居が描かれている。
浪花百景
雑喉場(芳瀧画、年代不明)
大阪府立中之島図書館蔵
天満の青物市場、堂島の米市場と並ぶ大阪の三大市場の1つ。
毎朝遠近の浦々から集められた魚を商う市が郡をなして立てられた。1931年、大阪市中央卸売市場ができた際に消滅した。
戦後、モータリゼーションの発達で、川や堀が埋め立てられ、多くの橋が撤去されたが、今日でも心斎橋や四ツ橋、長堀橋など、主要な地点に橋の名が多く残されている。
古くは「猪甘津(いかいのつ)※に橋渡す」「號(なづ)けて小橋(おばし)といふ」と日本書記に記されている。江戸時代には「江戸八百八町」「京の八百八寺」に対して「浪華(なにわ)八百八橋」と謳われた。実際には市内の橋は200橋程度だったようだが、大阪を舞台にした浄瑠璃や芝居、大阪の名所を描いた錦絵などにも橋は数多く描かれ、川とともに橋が大阪独特の風情を生み出していたことがうかがえる。
※猪甘津(いかいのつ):現在生野区に、猪飼野(いかいの)という地名が残っている。
【出典】大阪ブランド資源報告書(大阪ブランドコミッティ、2006年)
【参考文献】水の都おおさか物語(大阪市、大阪都市協会、1995年)、大阪春秋第132号(新風書房、2008年)、水都大阪2009パンフレット(水都大阪2009実行委員会、2009年)