水都大阪の歴史
はじめに
大阪は、水運に支えられて経済と文化の中心的都市として発展し、明治の頃には“水の都”と呼ばれた。古くは難波津(なにわづ)と呼ばれた港が大陸、諸国との交易拠点として栄えた飛鳥時代までさかのぼる。
そして、いま、大阪では、かつての遠い記憶となりつつあった“水の都”としての川に寄り添う暮らしのあるいきいきとした風景を取り戻そうと、市街の水路ネットワークや水面のポテンシャルを発揮させ、大阪の水辺を活気あるにぎやかな場へと再生するための様々な試みを展開している。
21世紀以降、大阪ではこれまで、世界でも稀な地形である、川が都心部をロの字にめぐる「水の回廊」を中心として、水辺のシンボル空間や船着場の整備、護岸や橋梁などのライトアップなど、さまざまなプロジェクトが進められてきた。
そして、今、都市づくりのエンジンとして、大阪が誇るべき資産である河川空間を活用した水都大阪再生のムーブメントがさらに加速しようとしている。大阪という都市にとって水辺は生誕の起源であり、発展の原動力であり、大阪の暮らしは常に水辺とともにあった。そして、これから大阪は、再び水辺と寄り添い、水辺とともに生きる生命力あふれる都市へと進化していく。水都大阪は都市・大阪のシビックプライドとして、再生を遂げるのである。
水都大阪の魅力創造に向けて、生命の源である水と、人々の生活を豊かにし文化を発展させる場としての川との絆を見つめ直すとともに、水都大阪の軌跡をたどる。